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今や巷では、オジさんたち、あるいはオバさんたち(失礼)がロックに熱くなっているらしい。自分のような音楽に長いこと関わって来た者には、今さら何を、というのが正直な印象だが、まぁ、とはいえ、そういう現象は疎ましくはない。スポーツ新聞の芸能欄だとかにはかつての人気ロック・バンドの記事もよく見かけるようになったし、もちろん、テレビの情報番組やワイドショーなどでもそういう場面をたまに見たりする。
でも、一番の衝撃は、東京のテレビ局のビジネス・ニュースで、そういう事態、すなわち、最近若者以外つまり三十代後半から五十代まで、幅広い高齢というか、熟年というか、とにかく、オトナたちの間でロック熱が盛り上がりを見せている、という特集を見たことだ。それによれば、かつてのロック少年少女たちがオトナになり、再びロックの世界に帰って来た、というのだ。その一例が「オヤジ・ロック・バンド」の急増であり、それに伴い楽器屋に多くのオヤジたちが集まるようになり、レコード店にも今まで足を運ばなかったような熟年層が増えて来ている、というもの。
そして、都内の某量販店では店のスタッフたちが独自に、そういう客層をゲットすべく、過去の名作や有名アーティストなどを、コーナーまでこしらえて大きく扱い、それによって売り上げが7倍近く伸びた、などと証言していた。さらに番組では売り上げの年度別推移を紹介し、ここ数年で若年層の売り上げが落ち込みつつあるのに対して、熟年というか主に三十〜四十代の人たちの売り上げが右肩上がりに増えている、という統計も紹介されていた。これには店鋪での売り上げ以外にネット販売や通販の分も加算されているのだが、それにしても「ロックは若者のもの」という概念は過去のものとなったようだ、という結びはいささか陳腐ではあったが、しかし、現実でもあることは疑う余地がない。
そこでも映像で紹介されていたのだが、この10月に20年ぶりの来日が予定されているクィーンの来日記念イベントが日比谷の野音で行なわれ、そこそこ以上の反響で、10年ぶりの新作(と呼んでいいのかは疑問なのだが)の先行販売もあり、それがあっという間に完売したというから驚きだ。
そして、来場者へのインタビューもあり、ある女性はこう言い切っていた。「クィーンは私の青春の全てであり、彼らが現れるまでロックに対してあんなに熱狂したことはなかった」。
そうなんだよな〜、そういう時代もあったんだよ、と自分も心の中でつぶやいた。
自分がクィーンと初めて出会ったのは、初の海外旅行でロンドンを訪れた1973年の夏のこと。
毎日市内のレコードショップを訪れては何か面白そうなモノはないか?と時間を費やし、夜は夜で当時まだソーホーのワーダー・ストリートにあったロンドンの、と言うよりイギリスの「ロックの聖地」たる歴史的なライブハウス「MARQUEE
CLUB」に足繁く通い、見知らぬバンドを見てはおおいに興奮していた。その中にはカーブド・エアーを脱退したばかりのヴァイオリニスト、ダリル・ウェイ率いるウルフがいたし、ストレイ・ドッグもいた。さらに興奮をかき立てたのは、壁に飾られた往年の出演者の写真やスケジュール表で、そこにジェスロ・タル、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ヤードバーズ、プロコル・ハルム・・・などなど、夢のような名前を見つけては心を踊らせていた。
そんなある日、いつものようにレコード屋をうろついていると1枚のポスターが目に入った。そこには聞いたことのないバンドの名前と写真があった。QUEEN?何なのコレは、という胸騒ぎがファン心理に火をつけた。店員に聞くと、これからアルバムが発売になる新人だとのこと。実際はすでに7月に発売されていたのだが、そんなことにはまるで気がついてなかった。そして、帰国して冬になった頃、その旅を共にしたレコード会社の友人から電話があり、曰く「大貫がロンドンで気にしていたクィーンのアルバムのマスター音源が届いたんだけど、担当がオレなんだよね。今から聴きに来る?」言うまでもなく、速攻駆け込み試聴ブースでタップリ聴かせてもらった。予想に違わず、サイコーの出来だと思った。少なくともあの当時で、彼らほどに興奮させられる新人はほかにいなかった。メジャー・バンドはそれなりの地位を確保しマイペースな活動ぶりだったし、
何と言うか、刺激が薄れているような印象をイギリスのシーン全体に感じていた。あの時代をリードしていたのはどちらかと言えばアメリカであり、時代はシンガー&ソングライターの全盛で、やがてレイド・バックというようなくつろいだ感覚のライトなファンク・センスがウエストコースト・ブームを生み、イギリス勢は旗色が悪かった。ディープ・パープルやピンク・フロイドを聴いているヤツは時代遅れ、みたいな空気感が自分の周りにはあった。それでも、自分はブラック・サバスやスプーキー・トゥース、ジェスロ・タル、リンディスファーン、ロリー・ギャラガーらを愛聴したけど。
そう、でも、実際には新人でコレ!と思えるのは個人的にはクィーン以外ではバッド・カンパニーやベドラムくらいのものだった。そこで、当然のようにデビュー・アルバムの解説を書かせてもらい、思いのたけをぶちまけた。何しろクィーンだったから締めは「神よ女王に御加護を」つまりはGOD
SAVE THE
QUEENなわけだった。最初は日本でもたいした評判にはならなかったが、故福田一郎さんや一部の評論家、編集者からはいい反応を得た。忘れていたが、本誌編集の方から当時のマガジンのレビューで、自分は当たり前として、中村とうようさんからも高得点をもらっていたとのこと。どこがそんなに良かったのか?と問われれば、まずはルックス。デビュー・アルバムの裏ジャケの写真は、まさにクィーンの名にふさわしい華麗で優美なメンバーの姿があった。衣装も含め見事だと思った。そして、もちろんサウンド。敢えてジャケのクレジットにNOBODY
PLAYED
SYNTHESIZERと書き込むほど、彼らは自らのギター・サウンドに、そしてアレンジに大きな自身を持っていたのだろう。確かにブライアン・メイの手製のギターのサウンドは一瞬シンセみたいな音に聴こえるところもある。しかし、そのギターの多様な音色やフレージングの妙技もさりながら、一番重要なのは全体の音像が立体的で、空間の広がりを感じさせるところにあったと確信する。時代や音楽の背景などまるで違うが、後で気付いたことだが、感覚はビーチボーイズの『PET
SOUNDS』みたいだ。音の広がり、コーラス・ハーモニー、交響曲みたいなタッチなどがそういう思いにさせた。門外漢の自分には今の今までそういうことは口に出せなかった。ケンタさんやタツローくんは笑うだろうか。
いずれにせよ、クィーンはやがてすぐ日本の若い女の子たちから熱狂的に支持されることとなり、
フィルム・コンサートの会場はあたかも実際のライブ会場のような熱気と嬌声に包まれた。それとともに、男のロック・ファンからは敬遠されていった。しかし、彼らが意図して女の子向けに作品を作るはずもなく、海外では普通に多くの男のファンにも恵まれた。メタリカが「ストーン・コールド・クレイジー」をカバーしたことにもその一端が伺える。不朽の名作とされる「ボヘミアン・ラプソディー」を収録した4枚目『オペラ座の夜』で彼らは初期の頂点を極め、人気も最高潮に達した。そこで自分の彼らに対する興味も燃え尽きたと言っていいかもしれない。アイドルは方向を転換する時期に来ていたのだ。より分かりやすく、ポップなサウンド。しかし、そこには自分をときめかせた73年の彼らの姿は無かった。しかし、バンドとしては困難を乗越え世界的な人気バンドへと成熟していき、まさに「伝説のチャンピオン」となった。時代は1977年、ぼくにはパブ・ロックが鮮烈に見え、PUNKが輝やき始めたのだ。
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