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DJ'S PROFILE 


 これはユニバーサル・ミュージックのUKキャンペーン用に書いたもので、すでにサイトでそのことは紹介したので、また、実際にレコード店でパンフを手にして御存知の方もいるかと思います。

 しかし、まだ見ていない方も多いと思うので、是非、この機会にイギリス(あるいは広くロック全般として)のロックのこれまでの歩みを、知って欲しいと願い、改めて全文を掲載してみます。

 ビートルズでロックに目覚めて以来、イギリスのロックを主に聴いてここまで来たぼく個人の思いも強い文章になっているけれど、音楽ファンを自認する諸君なら、読んでおいていただきたいと思います。もちろん、全部が正しい認識とは言いません。あくまで、コレを参考にキミ自身の探求を期待します。

UKロック、その偉大なる伝統と歴史に世界中が 感動し、今日もなおそのうねりは継続している。
大貫憲章 / KENSHO ONUKI '06

 さて、一体何から話をしたらいいものか、色々ありすぎて困っている。とりあえず、自分のことからスタートしようか。それが、つまりはイギリスのロックの歩んで来た道のりとおおいに重なるのだから。

 ボクが初めてイギリスのロックを意識したのは、言うまでもなくFAB4ことビートルズ*1が現れた時である。もちろん、それ以前にも「洋楽」には触れていた。しかし、自分の人生に多大な影響を与えたのはビートルズが初めてであり、それは決してボクひとりではなく、あの時代に音楽を愛していた者すべてがそうであったに違いないと確信する。ビートルズ以前の英国のポップ・シーンは基本的にアメリカのそれをなぞるような形で存在していたように思われる。主にソロ・シンガーの時代だ。例えば一番人気は「サー」の称号を持つクリフ・リチャードであり、他にも似たような感じの歌手が多くいた。ただ、ビートルズも影響を受けた、とされる「スキッフル」と呼ばれたイギリス独自の音楽スタイルを築いて人気のあったロニー・ドネガンのような人もいたことは、覚えておいて損はない。もちろん、当時のボクはそのような音楽の存在すら知らなかったのだが。

 ビートルズの驚異的な成功は多くのフォロワーを産み落とすこととなる。ビートルズが生まれたリバプールからはもとより、イギリス中の街々から続々とバンドたちが現れた。ホンのわずかを例にとっても、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ、ゼム、サーチャーズ、ホリーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、デイブ・クラーク・ファイブ、ザ・フー、ヤードバーズ・・・などなど

 まさに枚挙に暇がない、とはこのことだ。時代は完全にソロ・シンガーからバンドへ、すなわち、ビート・グループ全盛へと移行していた。日本ではこのへんのバンドをひとくくりにして「リバプール・サウンド」として紹介されたが、言うまでもなく、海外ではそういう言葉はない。「ブリティッシュ・ビート」として紹介された。とはいえ、音楽的にはバンド個々によりかなりな差異があったことも忘れてはなるまい。思うに、ビートルズだけが特異な存在であり、ほかはそれぞれに固有の音楽的な背景、ルーツを持っていた。その「音楽性」の中でもっとも大きなものがブルースでありリズム・アンド・ブルースすなわち、アメリカ渡りの黒人ポピュラ−音楽だったことは、その後のイギリスのロック・シーンを語る上でのキーとなるものだった。

 60年代の中期、こうしたビート・バンドが人気を集めていた頃、シーンの水面下では次の時代の礎となるような動きが活発化しつつあった。それは、ヒット・チャートとは無縁ではあったが、多くの当時の才能ある若いミュージシャンたちを虜にし、音楽的に「育成」した0というべきものであった。その一部はすでにチャートにも現れてはいたが、その本来的なパワーが発揮されるのには、もう少し時間を要した。 つまり、それこそがブルースであり、ストーンズ*2やアニマルズ、ザ・フー、ゼム、ヤードバーズといったバンドたちはすでにそういうものを自らのモノとして取り込み、ヒット曲として世に送り出していた。しかし、ここまで述べたように、それらはあくまでビート・バンドのポップ・ソングとして流布するに留まっていた。今も現役のジョージー・フェイム*3でさえポップ・シンガーとして人気を集めていたのだから。

 では、どういうミュージシャンたちがそういう音楽の担い手であったのか。一番有名なのは、イギリスで初めてエレキを使ったブルースを演奏したということで名高いアレクシス・コーナー*4の率いるブルース・インコーポレイテッド。シカゴ・ブルースに大きな影響を受けた形で生まれたこうしたブルース・バンドは、ジャズやジャグ・バンドなどの要素も取り入れ、イギリスのロック・シーンに根を張って行った。

グラハム・ボンド・オーガニゼイション、シリル・デイヴィス・オールスターズ、ズート・マネー、ジョージー・フェイム、ジョン・メイオールなどがその中心的存在だった。そして、そういうシーンからその後のロック・シーンの牽引者となるようなミュージシャンたちが生まれることになるのだ。ロッド・スチュワート、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、エルトン・ジョン、ジョン・ロードなどはその代表例だ。また、ジョン・メイオールが結成したブルース・ブレイカーズ*5は、そこに在籍したミュージシャンの多くがその後に人気者になったことで特に知られている。

クラプトンを始め、フリートウッド・マック*6の主要メンバーやジャズ・ロック・シーンを賑わすことになる連中から、ストーンズに一時的に加入したことで知られるミック・テイラーなどまで、まるで学校のような存在であるかのような語られることも多い。

 ビートルズで幕を開けたイギリスのロックは、ビートルズのライブ活動休止の頃からさらなる大きな転換期を迎えた。すでにビート・バンドの時代は終わりに近づき、ロックはより多様性に満ちた表現を模索し始めることになる。アメリカではサイケデリックが大きな話題となり、マーケットもそれまでのシングル・ヒットだけではなく、アルバム単位でのセールスを見据えるように変化していった。それはとりもなおさず、ミュージシャンがそういう指向性を持つようになったことの証しであった。ビートルズのアルバム『リヴォルヴァー』は時代が劇的に変化しつつあることを証明した作品であり、クリームのデビューやピンク・フロイド*7のライブ・パフォーマンスは、アメリカからやって来た異能のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの存在などとあわせて、ポップ・ミュージックとロックとが明確な境界線を引いたものとして多くのロック・ファンに強烈に印象付けた。

それこそ、ロック・レヴォルーションの時代に突入した瞬間だったのだ。

このムーブメントは大きなうねりとなって世界中に波紋を呼んだ。ロックは単なるティーンエイジャーの娯楽ではなく、ミュージシャンという一人の個人のメッセージとして世の中に発せられる意識の波となった。アメリカではモンタレー・ポップからウッドストックへと、ロックが若者の行動の原動力となったかのように見えたし、それは既成社会との軋轢をも生む結果ともなった。イギリスではアメリカのような過激な反戦思想との結びつきこそなかったものの、音楽的にはさらに多彩なものが追求され、中でも、西欧的文化背景から生まれた、いわゆる「プログレッシヴ・ロック」が大きな勢力を築いた。それはイギリスのみにとどまらず、広く世界中に拡散していったのだが、特にヨーロッパではドイツ、フランス、イタリアあたりでその固有の文化と強く結びつき、独自の思想、形態、様式を持ちながら発展して行くことになった点は興味深い。近年のレイブ〜テクノ・カルチャーの中にも往時のバンドたちの影が見られるのは、周知の通りで、例えば、カン*8、ノイ、クラフトワークなどドイツ勢の影響が目につく。

 70年代になると、ロックは大きな勢力をポップ・シーンの中に築き、イギリスではブルース・ロック〜ハード・ロックやプログレなど既成勢力の活躍もさりながら、新たに、さまざまな音楽スタイルが生まれ、メディアの煽りもあり、話題のアーティストが続々と現れ、まさにブリティッシュ・ロックの黄金時代が形成された。その代表的なものがグラム・ロックで、華美なファッションとメイクを施したルックスなどの外見上の見栄えもあり、多くの若者の支持を集めた。T・レックス、デヴィッド・ボウイ*9の両雄を初め、国民的バンド、とまで評されたスレイドやスイート、スージー・クアトロ、シルヴァーヘッド、マッド、ゲイリー・グリッター・・などのスターがヒットを連発した。この中から単なるテーニーボッパーとは異なる、独自の、ある種のアート感覚を備えたバンドが生まれ、それは極めてイギリス的な「センス・オブ・ヒューモア」に裏打ちされており、それゆえ、ごくわずかを除いては英国のみでの成功に留まることとなった。つまり、ボウイやロキシー・ミュージック、ELOなどが時間をかけてアメリカでの成功を手中におさめた。そのとどめがクィーン*10だった。彼らは本国でさえ初期はまるで相手にされなかったが、この日本のファンの後押しにより、世界的なスターダムにのし上がることが出来た、と言っても過言ではない。

 このグラム・ロックの喧噪の陰で、アメリカン・ロックの素朴で土臭いサウンドに影響されたバンドたちが密かに次の時代の担い手を狙っていた。カントリーやブルースというロックン・ロールの基本に忠実な、その意味では60年代のビート・バンドのような趣さえ感じ取れる音楽をプレイしたバンドたち、ニック・ロウが在籍したブリンズリー・シュワーツ*11、パンクの到来を予見させたドクター・フィールグッド*12などの一連のストリート・バンドたちをパブ・ロックと呼んだ。また、インディー・レーベルが台頭して来たのもこの頃で、音楽業界の構造改革がなされた時期と言ってもいい。そして、ロック・リヴォルーション以来の音楽的事件が起こった。パンクの登場だ。ニューヨークのクラブ・シーンで生まれたパンクは、アメリカではローカルな事象として看過されたが、イギリスでは見事に花開いた。その象徴的存在がセックス・ピストルズであり、彼らはあらゆる意味でイギリスそのものだった。つまり、ロックとファッションとの結びつき具合やプロパガンダの巧妙さ、粗野でありながら皮肉なインテリジェンスを感じさせる言動など。その後のUKロックのフレイヴァーはここで初めて披露されたのかもしれない。同時にパンクは音楽的にも多くの要素を再びロックの中に取り込むことで、シーンを活性化し、バンドの存在の多様性をも認知させた。

 スカやレゲエ、ダブから、ノーザン・ソウル、インダストリアルなどさまざまな要素が一度に芽生えた。スペシャルズ、マッドネス、スタイル・カウンシル、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、ソフト・セル、フライング・リザーズ、スロッビン・グリッスル、キャバレー・ヴォルテール、ポップ・グループなどのポスト・パンクのムーブメントは「ニュー・ウエーヴ」と称され、より商業的な指向性を持つバンドを量産した。それらはビートルズの時代のように大西洋を越え、アメリカのマーケットをも侵略したのだ。ブリティッシュ・インヴェイジョンと呼ばれたのも当然の話だろう。デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ヒューマン・リーグ、シンプル・マインズ、ポリス・・などのバンドたちにより世界のポップ・シーンは瞬く間にイギリス一色に染められた。 

 そして、これ以降、イギリス勢の進出は止む事なく今日まで継続しているのだ。つまり、プロモビデオ(PV)とMTVによる新たなメディア戦略が隆盛を極めた80年代〜90年代において、ブリティッシュ・ロックがUK POPといつのまにか呼称を変えて、さらに多くの才能が英国のみに留まることなく、アメリカ始め世界のマーケットに広く根付いていくようになるのだ。それは、もはやジャンルとかの垣根も越え、ヒップホップ、メタル、ネオアコ、ハウス、テクノなどなどあらゆる可能性を孕んだ、ロックの新時代の幕開けとなったと言うべきものなのだ。もとより、ロックがクロスブリードであればミクスチャーなどという言葉も宣伝効果を求める以外の何ものでもなく、ビートルズもツェッペリンもクラッシュもファットボーイ・スリムも、みなミクスチャーであり、イギリスのロック・シーンはいつの時代も様式を築いては自らそれらを破壊して、その上に新しい地平を築いて来たのだ。ここにこそ、イギリスのロックの持つ固有の醍醐味があり、それはアメリカのロックがロックン・ロールの故里であるがゆえに忘れてしまいがちなモノで、自己完結に帰することがありえない「異境」の荒野イギリスだからこそ、獲得しえた財産だと思うのだ。イノベイション、それこそがイギリスのロックの本質的命題であり、だからこそ、ユニークな、時にバカバカしくさえある試みがなされ、ボクらはそれを心待ちにしているのではないだろか。

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